少し前の話になるのですが、友人に連れられてある劇団の芝居を観てきました。
劇団と言っても劇団四季や劇団新感線のようなメジャーどころではなく、まだ立ち上げて3~4年しか経っていない、キャパ100名未満の小劇場で活動している学生演劇の延長にあるような劇団です。
それでも小さな劇場でだって面白い芝居はいくらでも上演されていますし、友人からも「最近人気が出てきて観客の数も少しずつ増えてきている」と聞かされていたので、それなりに楽しみにしながら都内にある劇場へと足を運びました。
でも、実際に観てみるとこれがビックリするほどつまらない。
何故かと言うと、その舞台の内容はヤンキーとオタク女子が出てくる現代版『ロミオとジュリエット』のようなラブストーリーだったのですが、舞台の骨幹ともいえる脚本(戯曲)が肝を抑えておらず、盛り上がりに欠けていたからです。
映画やドラマ、舞台に限らず “ジャンルが限定された物語” には定石(基本的な型)があります。
※ここで言う “ジャンルが限定された物語” とは、ラブストーリーや刑事もの、アクション、ホラー、サスペンスなど一般的な娯楽作品を指します。
そして、プロの脚本家はその型を理解した上で、個性豊かなキャラクターやシチュエーションを設定し、型を崩したり時間軸をいじるなどアレンジを加え、複数のジャンルを入り混ぜたりしてストーリーを構築していきます。
では、ラブストーリーにおける基本的な型とは何か。
それは、
①『出会う』
②『付き合う』
③『離れる』 ←ここがPOINT!!
④『再会して結ばれる』『別れを決断する』など
です。
もちろん、これは基本形なので例外はいくらでもあります。
例えば①の部分だと『初めから顔見知り』でも構いませんし、②も交際ではなくて『距離がグッと縮まる』とかでも大丈夫です。また、作品によっては付き合ってる状態からスタートするパターンもあるかもしれません。
しかし、ほぼ全てのラブストーリーが①~④の基本パターンを抑えた上で作られており、もしもこの法則から明らかに逸脱している場合は、その作品のジャンルがラブストーリーでないか(もしくは他ジャンルに恋愛要素が含まれているだけか)、脚本のイロハを知らない作り手たちによる駄作である可能性が高いです。
ラブストーリーの肝は『二人が離れ離れになる』ことにあり!
先ほど説明した①~④の中で、一番大切と言っていいのが③の『離れる』です。
これは、勉強を始めて日が浅い脚本家志望の方や学生の方が脚本を書くときに見落としがちな部分で、僕が観に行った芝居もこの部分がスッポリ抜け落ちていました。
冷静に考えてみれば分かるのですが、男女(もちろん同性同士でも可)が中盤~終盤にかけて物理的な距離を取らなければ、観客は最後までひたすらイチャついてる映像を観続けることになりますし、主人公の『葛藤 ⇒ 選択 ⇒ 行動』という物語に必要なドラマが生まれず盛り上がりに欠けてしまいます。
これだけだとなかなかイメージしづらいと思いますので、実際に「離れる」というシークエンス(物語を構成する要素の1つだと思ってください)が過去の有名作品でどのように描かれているか例を挙げて見ていきましょう。
例えば、1997年に公開された大ヒット作『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)の場合だとこんな感じです。
①その日暮らしの貧しい画家・ジャック(レオナルド・ディカプリオ)と上流階級の娘・ローズ(ケイト・ウィンスレット)がタイタニック号の中で出会う。
②ジャックが真っ暗な海に身を投げようとしたローズを助けたことをキッカケに、二人の距離が縮まり、恋に落ちる。
③ジャックが泥棒の濡れ衣を着せられ、船底の管理室に閉じ込められる。
タイタニック号が氷山に激突して沈没し始めるなか、救命ボートに乗せられそうになったローズが制止を振り切って取り残されたジャックを探しに行く。
④再会したジャックとローズが沈みゆくタイタニック号からの脱出を図る。が、とうとう船は沈没し、二人は真っ暗な海に投げ出される。
この作品は観ている方も多いと思いますので、細かい部分は省略しましたが、あらすじを見ると③の場面でジャックとローズの距離が物理的に離れていることが分かります。
そして、このシークエンスがあるからこそ『地位と名声を捨て、自らの危険を顧みず、愛するジャックを探しに行くローズ』というドラマチックな展開が生まれ、観客は二人の身分を超えた真実の愛に感動することができます。
こういうことを言うと、「えっ、別に離れなくても恋愛映画として成立したんじゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは違います。
逆に、もしも、二人がイチャイチャしている状態のまま船が沈没し始めたら、『本当に愛する人と一緒に居たい』という恋愛要素が薄れ、『船上で知り合った良い感じの二人が協力して逃げる』という脱出モノ(パニックムービー)の要素が強まってしまい、鑑賞後に観客が抱くカタルシスも変わっていたはずです。
また、もう少し最近の映画で言うと、例えば、2017年のアカデミー賞で最多6部門を受賞した『ララランド』(デイミアン・チャゼル監督)では、物語の終盤にかけて、大作映画の主演に抜擢されたミア(エマ・ストーン)が撮影のためにパリへ行くことを選択してセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と別れますし、昨年の大ヒット作『天気の子』(新海誠監督)でも陽菜(声:森七菜)は帆高(声:醍醐虎汰朗)の前から突然姿を消します。
他にも例を挙げればキリがないのですが、個人的な感覚としては
『自然災害や二人の交際に反対する何者かによって引き裂かれる』
『すれ違いや喧嘩によって距離を置く』
『どちらかが理由を告げずに突然姿を消す』
これらのパターンが多いように思います。
そして、会えない時間に愛が育まれたり、主人公が自分の本心に気付いたり、成長したりして行動に移し、物語のラストへと突き進んでいきます。
ちなみに、邦画の青春もののラブストーリーを観ると、大抵クライマックスで主人公の男の子が「自分の本当の気持ち」に気付き、女性がいる場所へ全力疾走するシーンがありますが、それは物理的に相手との距離が生まれている証拠です。
ラブストーリーにおける枷とは何か?
ここまでラブストーリーに必要なシークエンスについて書いてきましたが、もちろん二人が離れればいい物語になるって訳ではありません。
以前、『いざなぎ暮れた。』のレビューでも軽く触れましたが、ドラマとは葛藤を描くことであり、葛藤を作るには枷(乗り越えるべきハードル)を設ける必要があります。
そして、この枷が「離れる」シークエンスといかに上手く“紐付けられる”かで作品の質が大きく変わっていくのです。
ここで言うラブストーリーにおける枷とは、一般的に「相手に自分の想いが伝わらない」、「強力なライバルの出現」、「病気」、「戦争・災害」、「夢」、「貧富の差」などが挙げられます。
例えば、『タイタニック』では、金持ちの婚約者(ライバル/貧富の差)が出現し、その男のせいでジャックとローズは離れ離れにされてしまいますし、『ララランド』ではミアの女優になるという夢が、『天気の子』では「自らを犠牲に東京に本来の気候を取り戻す(災害)」ことが『離れる』ことへと繋がっていきます。
つまり、『主人公が相手と出会い、仲を深め、悩んだり困ったりしながら距離が離れ、最終的な決断をする』というのがラブストーリーの基本的な型となります。
まとめ
いかがだったでしょう。
皆さんが好きなラブストーリーはこの型に当てはまっているでしょうか?
もしかしたら、納得のいかない方や「私の好きなラブストーリーはこのカタチじゃない!」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、あくまでも基本形の話ですので例外があっても怒らないでください(笑)
ですが、名作と呼ばれるラブストーリーは大体この法則に沿って作られていますし、それは映画だけでなくTVドラマや芝居でも変わりません。
今後、皆さんが劇場などでラブストーリーをたくさん観て行けばこの基本形を実感する時が出てくるはずなので、脚本の構造に興味がある方は意識して観るようにしてみてください。
皆さんの鑑賞・観劇ライフが少しでも豊かになれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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