新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の解除を受け、6月に入ってから都内の映画館が続々と営業を再開しました。
正直、都心部ではまだまだ新型コロナウイルスの感染者が出ていますし、人が多い場所に行くのはちょっと怖いなーと思いつつ、それでも心を弾ませながら映画館へと向かってしまうのが映画ファンの心理ってもんで、新作映画が封切られたタイミングで約2カ月ぶりの映画館へと行ってきました。
僕が行ったのは川崎チネチッタだったんですが、
①劇場に入れるのはマスク着用者のみ
②サーモグラフィーで体温チェック
③(買ったり入場する際)スタッフがチケットに触れない
④座席は前後左右1つ飛ばし
⑤劇場のいたるところに消毒用アルコールを設置
など、これでもかと言うほど感染症対策が徹底されていて、劇場の「絶対に感染者を出さない」という気概を感じ取ることが出来ました。
あの感じであれば、映画館で感染する可能性は限りなく低いはずなので、これから映画館に行こうか迷っている方がいたら(無理のない範囲で)支援の意味も込めて是非足を運んでいただけたらと思います。
ってことで、前置きが長くなりましたが、今回観てきたのは、本来であれば4月3日に公開される予定だったビル・マーレイ(『ロスト・イン・トランスレーション』)、アダム・ドライバー(『スター・ウォーズ』シリーズ)出演のゾンビ映画、ジム・ジャームッシュ監督最新作『デッド・ドント・ダイ』です。
インディペンデント界の巨匠がジャンル映画をどう料理したのか……。
それではいってみましょー♪
映画『デッド・ドント・ダイ』公式サイトはこちら
あらすじ
警察官が3人しかいないアメリカの田舎町センターヴィルで、前代未聞の怪事件が発生した。無残に内臓を食いちぎられた女性ふたりの変死体がダイナーで発見されたのだ。困惑しながら出動した警察署長クリフ(ビル・マーレイ)と巡査ロニー(アダム・ドライバー)は、レイシストの農夫、森で野宿する世捨て人、雑貨店のホラーオタク青年、葬儀場のミステリアスな女主人らの奇妙な住民が暮らす町をパトロールするうちに、墓地で何かが地中から這い出したような穴ぼこを発見。折しも、センターヴィルでは夜になっても太陽がなかなか沈まず、スマホや時計が壊れ、動物たちが失踪する異常現象が続発していた。
やがてロニーの不吉な予感が的中し、無数の死者たちがむくむくと蘇って、唖然とする地元民に噛みつき始める。銃やナタを手にしたクリフとロニーは「頭を殺れ!」を合言葉に、いくら倒してもわき出てくるゾンビとの激闘に身を投じるが、彼らの行く手にはさらなる衝撃の光景が待ち受けていた……。
映画『デッド・ドント・ダイ』公私サイトより
スタッフ
監督・脚本 | ジム・ジャームッシュ |
制作 | カーター・ローガン ジョシュア・アストラカン |
制作総指揮 | フレデリック・W・グリーン ノリオ・ハタノ |
音楽 | スクワール |
撮影 | フレデリック・エルムズ |
編集 | アフォンソ・ゴンサウヴェス |
制作会社 | アニマル・キングダム |
配給 | フォーカス・フィーチャーズ(米国) ロングライド(日本) |
キャスト
クリフ・ロバートソン … ビル・マーレイ
ロナルド・ピーターソン(ロニー) … アダム・ドライバー
ゼルダ・ウィンストン … ティルダ・スウィントン
ミネルヴァ・モリソン(ミンディ) … クロエ・セヴィーニ
他にもスティーヴ・ブシェミ、イギ―・ポップ、セレーナ・ゴメス、RZA、トム・ウェイツなどなど、かつてジム・ジャームッシュ監督作品に出演したことのある役者・ミュージシャンが勢ぞろいした豪華キャストとなっております。
感想(ネタバレあり)
それでは感想に入ります。
結論から先に言ってしまうと、
個人的には久しぶりの映画館ってこともあり、体験を含めて75点ぐらいの高評価でした。
メチャメチャ楽しかったです。
終始ニヤニヤしながら観てましたし、緊急事態宣言解除後の1発目の映画が今作で良かったと思っています。
ただ、同時に、今作は観客の『ジム・ジャームッシュ理解度』が存分に試される1本でもあるので、まずは簡単に監督について紹介していきたいと思います。
ジム・ジャームッシュってどんな監督?
ジム・ジャームッシュという映画監督は、アメリカ出身ながらヨーロッパ映画や日本の小津安二郎監督作品に強く影響を受けていて、1980年のデビュー作『パーマネント・バケーション』以降、「お洒落さ」や「脱力感」、そして「オフビートな笑い(ちょっとズレたおかしさ)」の名手としてアメリカのインディペンデント界を代表するフィルムメーカーとなっていきました。
今でこそ「アメリカ映画=ハリウッドで撮られた作品」のイメージが強いですが、昔はテキサスやニューヨークにも映画会社が沢山あり、そこでいわゆるヨーロッパの人たちが好きそうなアート系の映画が数多く作られていたんですね。
で、その時代に頭角を現し、今でも第一線で活躍を続けているのがジム・ジャームッシュで、1986年に公開された『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(米国公開は1984年)が日本のミニシアター・ブーム/サブカル・ブームを先導するなど、ある一定の世代(50~60代かな?)の映画ファンにはぶっ刺さりまくってる監督です。
つまり、彼はこれまでミニシアターで上映されるようなシャレオツな作品(でも、全然堅苦しくないし、笑えるぞ!)を作り続けてきた監督であり、その前提を知らずに終始ド派手でヒャッハーなゾンビ映画を期待して今作を観てしまうと、「淡々としていた」「もっと派手だと思った」という感想が出てくるかもしれません。
でもそれは『野菜本来の味を最大限活かした創作料理店の店主に、化学調味料たっぷりのラーメンを注文する』ようなもので、非常にもったいない。
なので、ジム・ジャームッシュ監督作品を初めて観るという方は、
『オフビートな笑いが得意なインディペンデント界の巨匠が「ゾンビ」というゴリゴリのジャンル映画を仲間と一緒にゆる~く撮ったのが今作』
程度の知識は最低限持っておいた方が楽しめるんじゃないかなと思います。
ジャンル映画×オフビートな笑い
今作はオープニングからジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年/ゾンビ映画の記念碑的作品)を彷彿とさせる車が墓地の横を走り抜けるシーンから始まります。
更に、冒頭数分の間に主題歌を2度も流し、ビル・マーレイとアダム・ドライバーに「これさっきも聞いたな」「テーマソングですから」的なやり取りをさせることによって観客にメタ構造であることを提示していました。
メタ構造の意味や効果について説明すると長くなってしまうので省略しますが、簡単に言うと、登場人物はこの映画が作り物であることを認識しているわけです。
つまり監督は『ちゃんとゾンビ映画やりまっせ。でも、肩肘張らずゆる~くやらせてもらいますわ』というメッセージをちゃんと冒頭で宣言しているんですね。
そして、その宣言通り、ひと通りの状況説明が終わった後(3幕構成でいう1幕の終わりあたりで)ダイナーがゾンビに襲われ、初の犠牲者が出てしまいます。
町にゾンビが出現した理由については、一応、地球の軸が傾いて云々~という理由が出てきますが、ぶっちゃけ因果関係とかはどーでもいいです。
考えても意味ないので。
重要なポイントは、通報を受けてダイナーにやってきた警察官たちの会話で、アダム・ドライバー演じるロニーは内臓剥き出しの遺体を見て「こいつはゾンビの仕業や」「ひどい結末になりまっせ」と言い放つことにあります(注:字幕は大阪弁じゃありません)。
これまでゾンビなんていなかった世界のはずなのに。
ロニーはゾンビの姿なんて見たことがないのに。
まるでゾンビが存在していることが当たり前のように話が進んで行く。
何故ならこの映画はメタ構造であり、これは後で分かるのですが、ロニーはこの映画の台本を読んでいて結末を知っているという設定だからです。
その結果、ゾンビ映画の定番である『ゾンビを倒すには頭を狙う』ことを探るプロセスなどをサクッと省き、主人公たちのテンションを無駄に上げることなく(とにかく落ち着き払ってましたよね)、監督の得意とするオフビートな笑い(緩くズレた笑い)を表現する土俵をロジカルに作り上げています。
ここまで言うと、「じゃあ、なんでそこまでしてゾンビ映画を撮ろうとしたの? 普通にシャレオツな作品でいいじゃない」と思う方もいるかもしれません。
……えぇ、確かに。
でも、あくまでもこれは推測ですが、理由は2つあって、
1つ目は、たまにはワチャワチャ言いながら気の抜けた映画を撮りたかった。
そして、もう1つはゾンビ映画はエッジの効いた社会風刺ができるから。
なんだと思います。
映画でゾンビを描くということは、ただのパニック映画を撮るという意味ではなく、必ずそこに現代社会への皮肉や風刺が入ってきます。
前述した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の監督であるジョージ・A・ロメロはゾンビ映画を発明し、現代社会を描くツールとして確立させた人です。
だから、同作では黒人による公民権運動の激化が背景になっていましたし、同じくロメロ監督作品の『ゾンビ』(1978年)ではショッピングセンターに群がるゾンビを描くことで消費社会への警鐘を込めていました。
他にも、経済格差や人種問題、戦争、疫病、暴走する政府などをモチーフにして『何も考えず、死んだように生きる人間なんてゾンビと一緒だ!』と風刺するわけですね。
今作『デッド・ドント・ダイ』でもコーヒーやワイン、Wi‐Fi、Bluetooth、玩具、ファッション、抗不安薬を求めて彷徨い続けるゾンビを描くことで、ゾンビ映画のパロディとして見せながら物質を求める現代人を皮肉っていますし、さり気なく人種差別や偏見(冤罪)を見せることで人間の厭らしさを表現しています。
そして、本来であれば、(全部じゃないけど)ゾンビ映画は主人公たちがある程度の危機を乗り越えて「それでも戦いは続いていく……」的なエンディングを迎えるんですけど、ビル・マーレイとアダム・ドライバーは『ひどい結末になる』ことを知りながら立ち向かい、最後はゾンビたちに飲まれていきます。
ラスト、トム・ウェイツ演じる世捨て人ボブの「What a fucked-up world.」という台詞があるのですが、これこそジム・ジャームッシュ監督が本作に込めた最大限のメッセージだったのかもしれません。
そう考えると、買い占めや他者への疑心暗鬼がはびこるコロナ禍のいま公開されていることが意義深く感じられますし、観客である私たちに気付きを与え、行動をちょっとだけ良い方向に変えてくれる作品のようにも思えました。
小ネタのオンパレード! 今作はジム・ジャームッシュ版『ラ・ラ・ランド』だ!
今作『デッド・ドント・ダイ』の大きな特徴は、セルフパロディやオマージュが至る所に散りばめられているということが挙げられます。
第89回アカデミー賞で史上最多14ノミネート(6部門受賞)されたみんな大好き『ラ・ラ・ランド』(2017年/デイミアン・チャゼル監督)も、過去のミュージカル映画をオマージュしたシーンをふんだんに盛り込んでいましたが、今作のジム・ジャームッシュも負けてはいません。
というか、ジム・ジャームッシュ監督作品は自身の過去作のキャストやモチーフを結び付けがちなんですが、今回はそれに輪を掛けてふざけ倒してます。
あまりにも多過ぎて(気付けなかったことも沢山あるだろうし)全ては書き出せませんが、いくつか紹介すると、
- 出演者のほとんどが何らかのジム・ジャームッシュ監督作品に出ている(まさか、ストレンジャー・ザン・パラダイス』のエヴァが出てくるとは…)
- アダム・ドライバーが演じた役名・ピーターソンが『パターソン』に酷似している(2016年に公開されたジム・ジャームッシュ監督作品でアダム・ドライバーが演じた役名)
- アダム・ドライバーへのスター・ウォーズいじり
- ティルダ・スウィントンの役名がゼルダ・ウィンストン
- セレーナ・ゴメスが乗っていた車が『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』で主人公たちが乗っていた車
- 旅行者(セレーナ・ゴメスたち)の男2・女1という設定が『ストレンジャー・ザン・パラダイス』と一緒
- イギー・ポップがコーヒーゾンビ(イギー・ポップは同監督の『コーヒー&シガレッツ』(2004年)に出演)
- ティルダ・スウィントンが日本刀を振り回すのは、『ウォーキング・デッド』のオマージュ?
などなど、他にも監督の過去作やロメロ作品、『ゾンビランド』(2009年/ルーベン・フライシャー監督)など他のゾンビ映画へのオマージュもふんだんに盛り込まれていたと思います。
まあ、気付かなくても楽しめるようにはなっていますけどね。
まとめ
いかがだったでしょうか。
主要キャスト以外についてはほとんど書けませんでしたが、
日本刀を振り回すティルダ・スウィントンも良い味出してましたし、
パトカーから冷めた目でゾンビたちを見ているビル・マーレイとアダム・ドライバーの後ろでパニックになってるクロエ・セヴィーニとのギャップも良かったです(こっちが本来のリアクションなんですけどね)。
そして、なんと言ってもクライマックス。
ビル・マーレイとアダム・ドライバーが腹を括ってパトカーから降りたシーンは最高にカッコよかったし、あのシーンを観るためだけにもう一度劇場へ行ってもいいぐらいです。
ただ、物質主義の扱い方がなんかしっくりこなかったり(物への執着は分かるけど……なんかねぇ)とか、ジム・ジャームッシュには『パターソン』のような真面目で味のある映画を撮って欲しいという人の気持ちは分かります。
でも、「コロナ禍にシネコンでジム・ジャームッシュのゾンビ映画が観れる」ってだけで価値のあることだと思うので、興味のある方は是非劇場へ足を運んでみてください。
きっと素敵な映画体験になるはずです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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