今回取り上げるのは関ジャニ∞の大倉忠義と成田凌がW主演を務めた『窮鼠はチーズの夢を見る』。
映画『劇場』でホームランをかっ飛ばしたばかりの行定勲が監督を務め、脚本は『ナラタージュ』でも行定監督とタッグを組んだ堀泉杏。原作は人気漫画家・水城せとな(代表作は『失恋ショコラティエ』や『脳内ポイズンベリー』)による同名作品と、その後を描いた『俎上の鯉は二度跳ねる』となっています。
そして、本作の最大のポイントは男性同士の恋愛を描いたBL(ボーイズラブ)であるということ。それ故に、座組みこそ超豪華ではありますが、過激な描写も含んでいるので、ジャニーズ事務所所属のアイドルが主演する作品では珍しく「R-15+」指定作品となりました(15歳未満の方は鑑賞できません)。
それでも、公開を楽しみにしていた原作ファンやキャストのファンが押し寄せるように劇場に駆け付けており、都心部では初日から満席が相次いで、事前に予約しなければ良席が確保できないような状態が数日間続いていました。
主演がジャニーズ事務所のアイドルであるということに加え、作品の内容が男性同士の恋愛ということで、僕も男一人で鑑賞するのはかなり肩身の狭い想いをしましたが、注目作でもあるので張り切ってレビューしていきたいと思います。
それではいってみましょー♪
映画『窮鼠はチーズの夢を見る』の公式サイトはこちら
あらすじ
学生時代から「自分を好きになってくれる女性」ばかりと受け身の恋愛を繰り返してきた、大伴恭一。ある日、大学の後輩・今ヶ瀬渉と7年ぶりに再会。「昔からずっと好きだった」と突然想いを告げられる。戸惑いを隠せない恭一だったが、今ヶ瀬のペースに乗せられ、ふたりは一緒に暮らすことに。ただひたすらにまっすぐな想いに、恭一も少しずつ心を開いていき…。しかし、恭一の昔の恋人・夏生が現れ、ふたりの関係が変わりはじめてゆく。
『窮鼠はチーズの夢を見る』公式サイトより
スタッフ
監督 | 行定勲 |
脚本 | 堀泉杏 |
原作 | 水城せとな 『窮鼠はチーズの夢を見る』 『俎上の魚は二度跳ねる』 |
音楽 | 半野喜弘 |
配給 | ファントム・フィルム |
制作プロダクション | セカンドサイト |
制作協力 | ザフール |
企画協力 | 小学館 |
企画 | CAJ |
製作 | 「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会 |
キャスト
大伴恭一 | 大倉忠義 |
今ヶ瀬渉 | 成田凌 |
岡村たまき | 吉田志織 |
夏生 | さとうほなみ |
大伴知佳子 | 咲妃みゆ |
井手瑠璃子 | 小原徳子 |
感想(ネタバレあり)
……という訳で、TwitterのTLには絶賛のレビューがズラリと並び、「今年ベスト」「人生で一番泣いた」と言っている人もいる本作ですが、僕はあまり好きではありませんでした。
でも、本作も『愛のカタチの多様性』が描かれているわけで、お叱りの声が飛んでくることはある程度覚悟しつつ、圧倒的少数派意見を持つ自分なりに思ったことを綴っていきたいと思います。
出来るだけ不快にならないよう心掛けますが、本作が好きな方は気を付けて読んで下さい。
確かに主演二人の演技は凄まじかった
今回、最も注目すべき点はやはり大倉忠義と成田凌の体当たり演技でしょう。
本作『窮鼠はチーズの夢を見る』は、原作漫画がBL(ボーイズラブ)ということもあって、当然のように男同士の濡れ場が出てきます。
しかも、それがアイドル映画にありがちなソフトな表現ではなく、例えば、全裸で抱き合ったり、口でしたり、ローション使って挿入したり、低い声で喘いだりと、衝撃的なシーンが当たり前のように何度も出てくるので、セクシャリティの問題は関係なく、こうした『性描写』を観るのが苦手な人は結構しんどいと感じるはず。
「わたしぃ~、『おっさんずラブ』を観てBLに興味持ってぇ~」
みたいな人は開始10分でタコ殴りにされます。
少なくとも、劇場に行くならある程度は作品の世界観を理解してからの方がいいし、DVDが出たからといって何の考えも無しに子どもの前で観るのは止めた方がいい。
それぐらい過激な描写があることを認識しておいてください。
しかも、相手が成田凌だけならまだフィクション性がありますが、大倉忠義は不倫相手役の小原徳子ともかなり生々しい濡れ場を演じており、多くの女性ファンを抱えているジャニーズ事務所が「よくOKを出したな」という印象も抱きました。
比較するなら、松坂桃李主演のR18+作品『娼年』と同等。
これを許容できる大倉君ファンの器は大きいと思ったし(女性アイドルのファンだったら発狂するでしょうね)、『作品は作品』と捉えてくれる人たちがファンでいてくれることはアイドルにとっても役者にとっても幸せなことだと思いました。
そして、やっぱり凄かったのが成田凌です。
彼の目線や些細な仕草、台詞の強弱の付け方は「大伴に恋してる今ヶ瀬」そのもので、改めて凄まじい表現力の持ち主だなと感じました。
この今ヶ瀬って役は、本心と発する言葉が違うところが多々あるんですが、それでも観ている観客に微細な表現だけで全てを伝えてくる力量は流石としか言いようがありません。
個人的には『愛がなんだ』(今泉力哉監督)が彼のベストアクトだと思っていたんですが、本作の今ヶ瀬も彼にとって1、2を争うほどの当たり役になったと思います。
他にも、吉田志織は『チワワちゃん』(二宮健監督)よりも演技が上手くなっていて魅力的な女性に見えたし、ゲスの極み乙女のドラマー、ほな・いこかことさとうほなみも登場回数は少ないながらも強烈な目力で印象的な役を違和感なく演じていました。
キャストの演技に関しては文句ナシ。
ほぼ完ぺきに近かったですね。
タイトルの意味について
本作のタイトル『窮鼠はチーズの夢を見る』について、「これってどういう意味なの?」と思う方がいるかもしれないので、僕なりの解釈を書いておきます。
まず、窮鼠とは『きゅうそ』と読み、『追い詰められて逃げ場を失ったネズミ』という意味があります。ことわざ『窮鼠猫を噛む』の『きゅうそ』ですね。
じゃあ、その窮鼠が何を指すのかと言うと、本作では『大伴』のことです。
根拠は、タイ料理屋のシーンでの夏生の台詞。
「恭一はね、ハメルンの笛吹きにホイホイついていくネズミみたいなもんなの。みすみすドブに溺れさせるわけにはいかない」
はい、そうです。ご丁寧に台詞で説明してくれています。となると、チーズはネズミ(大伴)の大好物(好きな物・人)なので、今ヶ瀬である線が濃厚。
『夢を見る』が、手に入れられない物を表しているとすると、この本作のタイトルは『全てを失った大伴は、最後に今ヶ瀬の大切さに気付く』という意味であると推測されます。
ただ、実はもう1つ解釈の余地があって、最後の海辺のシーンで今ヶ瀬が大伴に対してこんな台詞を言っています。
「あなたは愛してくれる人に弱いけど、結局その愛情を信用しないで、自分に近付いてくる相手の気持ちを次々嗅ぎまわる……」
この「嗅ぎまわる」って言葉がネズミを連想させるので、捉えようによっては、『受け身の人生を送ってきた大伴は、相手から言い寄られて逃げられなくなるも、それが本当の愛ではないことに気付いている(本当の愛を求めている)』みたいな考え方も出来ます。
結婚しても、不倫相手と結ばれても、元カノに言い寄られても、婚約しても、心の根底には『虚しさ』が溢れ返っているという解釈ですね。
どちらにせよ、真意は分かりませんが、物凄くセンスの良いタイトルであることは間違いないと思います。
本作の登場人物はもれなく全員クズだった
そして、ここからが気になった点となります。
一つ目は、登場人物がもれなくクズであること。
例えば、劇中でも“流され侍”と呼ばれてましたけど、大倉忠義演じる大伴は『押しに弱いピュア』を装いながら不倫や浮気を繰り返すし、成田凌演じる今ヶ瀬も「不倫のことを奥さんに黙っておく代わりに」と、普通に犯罪レベルの脅迫で大伴をホテルへ誘い込み、事に及びます(他の男の所へも行く)。
また、男性だけではなく女性陣もクセ者揃いで、大伴の妻・知佳子は1年前から不倫をしていた挙句、離婚するために興信所を使って旦那の浮気調査をしているし、井手瑠璃子は大伴に妻がいることを承知で不倫を懇願してくるし、大伴の元カノ・夏生は同性愛者である今ヶ瀬に対して差別的な発言をしたり、救済を名目に大伴と身体の関係を結んで今ヶ瀬との関係を断とうとしたりします。
しかも、知佳子と夏生に関しては悪事を働いてもほとんど悪びれないというか、最終的には大伴を責めて自分のことを正当化するキャラクター。
優柔不断で流されやすい大伴が二人をそうさせてしまっていることは想像がつきますが、それにしてもちょっとクズに描きすぎなのでは?と感じました。
勿論、登場人物が全員クズでも構わないし、そういう作品があってもいいと思います。僕もそういう映画は大好きですし、原作者も意図的にこういう人物配置をしてるんでしょう。
でも、2時間ちょっとの映画でこういう描き方をしてしまうと、大伴が女性不信になったようにも見えかねないし、『流されやすい大伴』じゃなくて『ただ人を見る目が無い大伴』像が浮かび上がってしまい、勿体ないと感じてしまいました。
おまけに、終盤で大伴は今ヶ瀬を選び、一方的にたまきと婚約破棄をするのですが、その時点で僕は「こんな人様の心情に寄り添おうとせず人生をメチャメチャに破壊してくるクズ男は地獄行きだ!」と怒り心頭。これじゃあ、カタルシスなんてあったもんじゃありません。
例えば、女性の設定をそのままにするなら、
映画版は完全に今ヶ瀬を主役に据え、
冒頭の脅迫(ホテルのシーン)を無くし、
ルームシェアというカタチで同棲、
家を飛び出しても元彼のところに行かず大伴だけを思い続け、
クライマックス手前で大伴と初めて結ばれ、
最終的に大伴のことを考えて今ヶ瀬が身を引く。でも……。
みたいな『今ヶ瀬純愛物語』であれば、一途な恋・純愛を表現できて僕みたいな捻くれ者でも楽しめたと思います。
まあ、そもそも本作のメインターゲット(劇場に来て欲しい層)は原作ファン、BLファン、役者のファンの女性たちなので仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。
他に気になったことは、散見されたゲイの表現方法です。
僕は、BL関連の漫画などはほとんど読んだことがありませんが、ゲイの友人や知り合いは何人かいて、彼らの日常に接したことがあります。
それ故に、本作に登場するゲイたちがあまりにもひと昔前のイメージと言うか、「ゲイと言えば」みたいなテンプレ描写で、本作が『多様な愛』を描こうとしてるのに、そこは固定観念に嵌めちゃうんだ……と残念な気持ちになりました。
勿論、劇中で描かれたようなゲイの方も沢山いるでしょうが、今ヶ瀬も『煙草吸ってて、猫背で、萌え袖で、前髪が目に掛かってて……』みたいな感じで過去幾度となく見てきたタイプでしたし、途中で登場したゲイの集まるクラブなんかは(見せ方に)何処か偏見のようなものすら感じました。
今年公開予定の草彅剛主演作『ミッドナイトスワン』みたいな感じなら理解は出来ますけど、本作だったら外見に差異をつけない方が効果的だったように思います。
まとめ
いかがだったでしょうか。
詳しく言及できませんでしたが、劇中には素晴らしい演出も沢山あって、例えば、今ヶ瀬とたまきの対比なんかは、パーカーの裾の長さだったり、椅子の座り方だったり、カーテンの使い方(古いのは煙草の匂いが染みついてるんだよね)だったりと細かい部分にまで拘っていて「たまきは今ヶ瀬じゃない」感を丁寧に表現していました。
原作はファンが多い人気作なのでなかなか大胆な脚色は出来なかったのかもしれませんが、映画には映画なりの表現方法もあると思うので、個人的にはもう少しだけ踏み込んでキャラクター像とプロットを整理できれば傑作になったのになぁという思いでいます。
でも、この作品が普通にシネコンで公開され、観客が寛容に受け入れてくれる時代になったことは非常に意義深いことです。
これまでの背景には、多くの人の悔しさや悲しさ、苦しさ、頑張りがあったはずだし、こういう作品を通じてもっとセクシャルマイノリティの方々が何の不自由も感じなく、一つの個性として認められ、公平な権利を獲得して生活できるような環境になればいいなと願っています。
表現はやや過激ですが、ご興味のある方は是非劇場でご覧ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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