今回取り上げるのは、ピースの又吉直樹原作、山﨑賢人、松岡茉優出演、行定勲監督の注目作『劇場』。
本来であれば今年の4月11日に公開される予定が新型コロナウイルスの影響で延期となり、ようやく7月17日に公開されたのですが、当初、280の映画館で公開されるはずだった公開館数が20館程度に縮小されるという事態に陥った作品です。
それでも製作費をリクープ(回収)しなければ次の作品を撮る事ができない訳で、「1人でも多くの人にこの映画を届けたい」という想いも手伝って、製作サイドは劇場公開とAmazonプライムビデオで全世界同時公開するという日本映画界では未だかつてない試みに踏み切りました。
僕も “いま、一番信頼している女優” 松岡茉優の出演作ということもあり、初日に横浜のシネマ・ジャック&ベティまで遠征して鑑賞してきましたが、夜遅い回であるにも関わらずほぼ満席で(勿論、座席は一つ飛ばし)その期待の高さが窺えました。
本作は云わば『コロナの影響をモロに受けてしまった作品』であり、映画ファンとしては良作であれば全力で応援したいところ。
果たして、作品の出来はどうだったのか……。
それではいってみましょー♪
映画『劇場』の公式サイトはこちら
あらすじ
高校からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で脚本家兼演出家を担う永田(山﨑)。しかし、前衛的な作風は上演ごとに酷評され、客足も伸びず、劇団員も永田を見放してしまう。解散状態の劇団という現実と、演劇に対する理想のはざまで悩む永田は、言いようのない孤独を感じていた。
映画『劇場』公式サイトより引用
そんなある日、永田は街で、自分と同じスニーカーを履いている沙希(松岡)を見かけ声をかける。自分でも驚くほどの積極性で初めて見知らぬ人に声をかける永田。突然の出来事に沙希は戸惑うが、様子がおかしい永田が放っておけなく一緒に喫茶店に入る。女優になる夢を抱き上京し、服飾の学校に通っている学生・沙希と永田の恋はこうして始まった。
スタッフ
監督 | 行定勲 |
脚本 | 蓬莱竜太 |
原作 | 又吉直樹 『劇場』(新潮社) |
エグゼクティブプロデューサー | 坂本直彦 |
チーフプロデューサー | 古賀俊輔 |
プロデューサー | 谷垣和歌子 新野安行 |
音楽 | 曽我部恵一 |
撮影 | 槇憲治 |
編集 | 今井剛 |
制作会社 | ザフール |
製作会社 | 「劇場」製作委員会 |
配給 | 吉本興業 |
キャスト
永田 | 山﨑 賢人 |
沙希 | 松岡 茉優 |
野原 | 寛一郎 |
青山 | 伊藤 沙莉 |
小峰 | 井口 理 (King Gnu) |
田所 | 浅香 航大 |
感想(ネタバレあり)
【総評】
原作未読なので、初めは『夢=呪い』の話かと思ったが、不完全で不器用な男女の恋愛物語だった。
山﨑賢人のキャラクター造形には疑問が残るものの、ラストは役者たちの力技で泣かされた。序盤・中盤・終盤と松岡茉優が微細に演じ分けをしているので、それだけでも一見の価値あり。
Amazonプライムでも観ることが出来るが、是非映画館で見て欲しい一本。
まず初めに。
前述したとおり、映画『劇場』を語る上で避けては通れないのが、新型コロナウイルスの影響で公開が延期となり当初280館あった上映館が20館に減ってしまったこと、そして、劇場公開と同じ日にAmazonプライムビデオで全世界同時公開したことです。
詳しくは別の記事で書いているので興味のある方は読んでいただきたいのですが、僕はこの『新作映画を劇場公開と同時に配信すること』についてはかなり否定的な立場で、もしも今後、他の作品が本作『劇場』の手法を真似し始めたら倒産する映画館が増え、やがては映画業界の衰退に繋がる問題ぐらいに思っています。
ただ、今回は新型コロナウイルスというイレギュラーな事態が契機となってますし、本作を作った人・出資した人たちが『次回作の資金を捻出するために選択したこと』であることは理解していますので、誰かを批判するつもりも、作品の評価に影響することもありません。
その点だけご理解いただいてからレビューをお読みください。
山﨑賢人と松岡茉優の力量の差が出た序盤のキャラづくり
映画『劇場』は日本の演劇界(小劇場)を舞台にしたお話です。
僕も学生時代、友達に頼まれて劇団の旗揚げに携わったり、それこそ下北沢界隈でプロ・アマチュアを問わず数多くの芝居を観てきた経験があります。
だから演劇仲間と集まる『居酒屋の雰囲気』や『芝居小屋の空気感』、『年齢を重ねても夢を追い続ける人たちの様子』はよく知っているつもりだし、そういう点から見ると本作のリアリティはかなり高いレベルにあると言っていいと思います。
しかし、そんなリアルな世界で一人浮いていたのが永田のキャラです(特に序盤)。
まず、冒頭で本作の主役である永田と沙紀の出会いのシーンが描かれるわけですが、山﨑賢人が『変わり者の永田』を意識しすぎるがあまり、かなり違和感のある演技になっていると感じました。
そもそも、人一倍プライドが高く、人見知りを公言している“あの永田”が沙希をナンパした理由はなんだったのでしょう。
精神的に弱っていたから?
画廊で同じ絵を見てて感性が同じだと思ったから?
神様に見えたから?
それともただの一目惚れ?
別に映画『寝ても覚めても』(濱口竜介監督/2018年)のように冒頭で唐突に主人公とヒロインが結ばれるのは構わないし、永田がナンパするのはいいんですけど、あそこまで挙動不審に、それこそまるでチェリーボーイかのごとく声を掛けるのって後半の永田のキャラと整合性が取れないと思うんですよね。
あの感じで喋る男が、のちに憂さ晴らしで原付を破壊するとしたら、それはもう不器用を通り越して完全なサイコパスです。
それに、同棲後、部屋に持ち帰るブロック塀って浮気した人数を表してるんだろうし、沙希や青山(伊藤沙莉)にあそこまでキツく当たれるような男なら、初対面の女性でももう少し堂々と接するんじゃないでしょうか。
例えば、ベタですけど『劇団「おろか」の公演を周囲から酷評される⇒友人に誘われてたまたま観に来た沙希だけは涙を流して絶賛⇒終演後の打ち上げの席で寡黙に酒を呷る永田に声を掛け……』みたいなオープニングにするだけで、街中で挙動不審に声を掛けることもなかったし、二人が惹かれ合った理由も明確化されるし、色々と削れるシーンが出て来るしで作品がもっと見やすくなったと思います。
一方、圧巻だったのは相手役の松岡茉優です。
これは別に僕が松岡茉優ファンだからという訳ではなく、客観的に見ても序盤・中盤・終盤の組み立てが見事だと思いました。
例えば、自然過ぎて気付かない人もいると思うんですが、松岡茉優は、沙希が困ったり照れたりすると髪を触るという癖をさり気なくぶっ込んでいます。
これは想像でしかないですけど、恐らく要所要所に出てくる『髪にまつわるシーン(カットモデルの勧誘と話し込む等)』から逆算して役を作り込んでいると思うのですが、これによってキャラクターに一貫性が出るだけなく、『押しに弱く寂しがり屋な沙希』という内面まで上手く表現しています。
他にも、原付の件(「時々、永くんの考えてることが分からない~」の台詞)から声のトーンを抑えるようになったり、目線の配り方が時の経過とともに変化していったりと様々な工夫をしていて、女優・松岡茉優の凄味をまざまざと見せつけるカタチになりました。
2つの意味でレベルの高い脚本
次は脚本について。
映画『劇場』は芸人で芥川賞作家の又吉直樹による同名小説が原作ということもあり、かなり文学色の強い作品です。
全編にわたって永田のモノローグで心情や状況を説明しているのですが、これは小説のエッセンスを映画にも落とし込もうとした結果だと思いますし、全体の雰囲気を作る上で良いアクセントになっていました。
しかし、あまりにも映像脚本を小説に寄せてしまっていて、役者にとってハードルの高い脚本になっていたのも事実だと思います。
特に永田。
これは完全に僕個人の独断と偏見による考えなので異論はあると思いますが、山﨑賢人って外見や佇まい、仕草、動き(広義的な意味でのアクション)の方が優れていて、相手役とガッツリ対話する演技(広義的な意味でのリアクション)はこれからの俳優だと思うんです。
(もし、本作の『自転車のシーンの長台詞』と『ラストの舞台シーン』が印象的だったという方は、彼が相手役との対話よりも返答のない台詞の方が上手いことが何となく伝わるんじゃないでしょうか。感情が高ぶるとちょっとだけオーバーアクトになるんですよね、彼)
だからこれまで彼は『ジョジョの奇妙な冒険』や『斉木楠雄のΨ難
』など(ビジュアル・イメージ先行の)漫画原作の映画ばかりに起用されてきたし、その特性を最大限に活かして『キングダム』を大ヒットに導きました。
つまり、何が言いたいかって言うと、せっかく山﨑賢人が永田の仕草や佇まいを作り込んでも、東京出身なんだから関西弁でボケたり突っ込ませたりしたらボロが出るし、そもそも永田というキャラクターを多面的に描きすぎている脚本で、山﨑賢人が作り込みをすると全てのパーツが悪目立ちし、不器用を通り越して普通に情緒不安定で猟奇的なヤバい奴になるってことです。
他にも、日常生活ではあまり使わない(でも小説では多く使われる)台詞がかなりあったので、純文学の世界観を表現するためとは言え、役者人は少し言い辛そうだなとも感じました。
原作を尊重するのもいいですが、2時間の映画として成立させるためには脚色する段階でカットすべき台詞やシーンがかなりあったんじゃないでしょうか。
……と、ここまでネガティブな要素ばかりを挙げてしまいましたが、本作の脚本には優れている部分も沢山あります。
例えば、本作の物語は『不器用で自分勝手な永田と、その才能を信じて献身的に支える沙希の数年にわたる恋愛模様』を描いていますが、二人の描き方のバランスが絶妙なラインを攻めていて上手いと感じました。
もしもこれ以上、沙希からの視点を入れ込んだら永田のクズさが際立ってしまい、ただの胸糞映画になっていたと思いますし、もっと永田に比重を置いたら沙希が何を考えてるのか分からない依存系メンヘラ女になってしまいます。
しかし、本作の脚本は観客が引かないギリギリのラインを攻めながら、永田のプライドや焦燥感、不器用さを描きつつ、沙希を魅力的で繊細な女性に見せていました。
本作の脚本を担当しているのは、第53回岸田國士戯曲賞を受賞している劇作家・蓬莱竜太でしたが、演劇のシーンも含め適任だったと思います。
主演二人の演技が白熱する瞬間。感動のクライマックスへ!
本作では始まってちょうど1時間のところで永田が劇団「まだ死んでないよ」の舞台を観劇するのですが、この辺りから少しずつ『焦燥感に駆られる永田』と『疲弊した沙希』が表面化されるようになってきます。
自分で部屋を借りるようになり、ライターの仕事を始める永田。
永田が出て行ったことにより、これまでギリギリの状態で保っていた心のバランスが崩れ、酒に頼り始める沙希。
この描き方のバランスが非常に良かったと思います。
その後、居酒屋の店長の部屋に行った沙希を永田が迎えに行くのですが、自転車に二人乗りしながら永田が長台詞を喋るシーンでは『沙希と永田の関係がもう修復できないところまできている』ことを観客に提示してきます。
ここの一連のシーンって松岡茉優の台詞はないんですが、それでも目線や仕草、永田の身体じゃなく荷台を掴んでいるところで沙希の心情を見事に表現しているんですよね。
一方、山﨑賢人も力を抜くと素晴らしい演技をするので、もちろん監督による演出の力もあると思いますけど、ここは本作のハイライトと言っても良いぐらい感動的なシーンとなっていました。
そして、もう一つ印象的だったのが、沙希の部屋でアイドルのDVDを観るシーン。
ここでのやり取りはこんな感じです。
「永くん」
「ん?」
「もう東京だめかもしれない」
「そっか」
「永くんは1人で大丈夫?」
「俺は大丈夫やで」
これまで沙希が耐えてきたこと、でももう後戻りできない所まで来ていたこと、心が疲弊しきっていることが、台詞の間に表れていてグッときてしまいました。
この別れを告げた場面は、間の取り方を含め、本作における「脚本」・「演出」・「演技」の全てが最高到達点に達したシーンだと思います。
恋愛映画の作りとしてもパーフェクトでしたね。
そして、物語はクライマックスへ。
ここから先は事前知識を入れずに観て欲しいのですが、ちょっと予想外の展開で観客を驚かせつつ、ちゃんと納得できるかたちに収まっていました。
欠落・喪失がない人間に芸術は作れません。
恐らく、永田は沙希以上に愛せる人とは出会えないかもしれませんけど、きっと演劇人としてこれからも作品作りを続け、光の見えない階段を昇っていくんでしょう。
そう思えるほど素晴らしいラストでした。
まとめ
いかがだったでしょうか。
僕は原作未読だったので(勉強不足でスミマセン)、あらすじを見て真っ先に『夢=呪い』の話だと思いました。
夢を追う道中で「頑張っても叶わない、報われない」と気付いても、今までの軌跡を否定する感覚に陥り簡単に諦めることができない。
その状況にもがき苦しむ主人公だと思ったんです。
でも、どちらかと言えば、不完全で不器用な男女の恋愛が前面に来ていて、夢の要素は薄かったように思います。
個人的には『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』のシアーシャ・ローナンみたいに創作意欲が爆発する瞬間を観たかったかなぁ、と。
それでも中盤からクライマックスにかけては傑作だと思ったし、主演二人の演技を観ていて思わず涙してしまうシーンがあったのも事実です。
本作は芝居小屋の空気感や音にも拘っているので、スマホやパソコンの小さな画面ではなく、映画館の大きいスクリーンで観るのがオススメです。
是非、若手俳優たちの演技合戦をお楽しみください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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